弱視職員へのインタビュー1(3回目)
(2022年 初掲載)
秋田県立視覚支援学校オリジナルキャラクターのチューモくんです。「チューモくん日記」では、本校やその周辺のことについて語っていきます。
本校の弱視の教師が子ども時代にどんなことを感じて過ごしていたかというインタビューの5回中の3回目です。
チューモくん:前回は、色に関する話を聞きましたが、見えにくさからくる勘違いのようなことは他にもありましたか。
ミヨシ :自分は、小さい頃から、ものを2つにすることができていました。見ているだけで、目の前のものが2つに増えるんです。でも、母親に言ってもよく理解してもらえなかったので、これは、自分だけの特殊な能力で、あまり人に言ってはいけないことだと思っていました。そして、頑張れば、2つのところを3つ、4つに増やせるのかなと思い、日々練習していたことがありました。これも、焦点がずれていただけのことなんですけど、小さいときは増えたと思い込んでいたんですね。
チューモくん:単に視力が低いだけでなく、いろいろな見えにくさがあって、そこを幼い子どもは理解できないし、保護者も「なんでそんなことを言うんだろう」というくらいで流してしまったんですね。そういう状態だと、いろいろな場面で、トラブルが起きませんでしたか。
ミヨシ :例えば、挨拶をしないことで母親からよく怒られていました。今思うと、知り合いのおばさんでも、すれ違う時には誰かよく分からないので、挨拶をしなかったのですが、母は、その状態がよく分からなかったのだと思います。
逆に、近付き過ぎて怒られたこともあります。中学1年生の時、仲の良かった女の子が、新しくできた友達を紹介してくれたことがありました。紹介といっても、所属している部活とあだ名だけしか教えてくれなかったので、名前を見ようとして名札に近付いたらとても怒られました。今思えば、当然のことですね。胸の近くまで顔を寄せていくんですから。
チューモくん:少し離れると、相手の顔が分からなくて、声を掛けない。すると、「挨拶しない無礼な人」と思われる。確認するために近付き過ぎると、あらぬ誤解を受けてしまう。その距離感を分かってもらえないのは辛いですね。
ミヨシ :おかげで、仲良くなった人もいるんですよ。
小さい頃、母親と買い物に行くとかなりの頻度で迷子になっていました。お菓子や惣菜などを見ているときに、母親が少し離れたところに行ってしまい、それを探すことができずに迷子になってしまったのだと思います。迷子になると、誰かに案内所のようなところに連れて行かれ、呼び出しの放送をされるというのが常でした。それで、迷子に慣れてしまったせいか、迷子になったらインフォメーションにいくという習慣が身に付いていました。だから、インフォメーションのお姉さんとは仲良しでした。母親からすれば、ちょっと困った子供だったんだろうと思います。
チューモくん:迷子になったら、自分からインフォメーションに行くというのは、「生きる力」ですね。
相手の顔や名札の文字が見えないために、コミュニケーション上でトラブルに発展することがあり得ます。無用なトラブルを起こさないように、対応の仕方を伝えていくことや、迷子の話から、「困ったときはこうする」ということを日常的に話し合っておくことも大事だなと思いました。
(2025年8月5日 再掲載)