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弱視職員へのインタビュー1(1回目)

秋田県立視覚支援学校オリジナルキャラクターのチューモくんです。「チューモくん日記」では、本校やその周辺のことについて語っていきます。

弱視の子どもは、身の回りのことをどのように感じて生活しているのでしょうか。夏休み中に行ったサマースクールの保護者学習会に向けて、本校の弱視の職員のミヨシさん(仮名)に行ったインタビューの一部を紹介します。全5回です。

チューモくん:こんにちは。弱視の人の見え方は様々ですが、「こんな風に感じながら生活していた」という話は、保護者の方にも参考になるのではないかと思っています。そんなわけで、今日は、通常の小・中・高校で過ごしてきたミヨシさんの子ども時代のことを聞かせてください。
では、早速ですが、小さい頃の目の状態と、視覚に関する思い出で、強く記憶に残っていることを教えてください。

ミヨシ :眼疾患は、黄斑変性です。子どもの頃は矯正視力で0.1くらいでした。現在は0.02です。色覚異常があって、色の区別がよくできませんでしたが、目が悪いという自覚はありませんでした。大人は子どもよりもいろいろなことができるので、大人になれば見えるようになると思っていたんです。
例えば、祖父は、新聞を読むとき、新聞をすごく離して読んでいました。また、魚釣りに行った時も、ウキの動きを察知して、魚を釣り上げていました。すごいと思いました。
逆に、自分は、小さい頃は、どんなに小さい文字でも近付くことで読むことができていました。ところが、祖父や祖母はその小さい文字を読めていなかったので、歳を取ると見えにくくなるんだなと思っていました。今思えば、祖父母が、新聞を離して読んだり、小さい字が読めなかったりしたのは、ただの老眼だったんですね。

チューモくん:なるほど、「子どもはよく見えないけれど、大人になると見る力が付いてくる。しかし、歳を取るとまた見る力が衰えてくる」と思っていたんですね。家族との思い出で、他にもそういうエピソードはありますか。

ミヨシ :とにかく、祖父はすごいと思っていました。蚊が飛んでいると、自分には音は聞こえるけれど見えないわけです。ところが、祖父は、見えない蚊の気配を感じ取って、パチンッと手で挟んで退治してしまうんです。大人になったら、そういう気配を感じる力も身に付いてくるものだと思っていましたが、あれは、祖父には飛んでいる蚊が見えていたからですよね。
それから、祖父はババ抜きが強くて、絶対にババを引きませんでした。また、こちらが考えていることを当てるので、大人になるとそういった能力が身に付いてくるのだろうと思っていました。これも、今考えると、自分の表情や視線でババの位置を察知していたのだと思います。

自分の見え方について自己理解が十分でない子ども時代には、大人が当然と感じていることとは異なる感じ方、考え方をしていることがあるようです。「大人になれば見えるようになる」という勘違いは、どの子でも考えることかも知れません。子ども自身で気付いていくことは難しいので、子どもの反応を見ながら大人がフォローすることが大事ですね。

(2025年8月1日 再掲載)

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