エンターキーを押すと、ナビゲーション部分をスキップし本文へ移動します。

ここから本文です。

110周年・もの ~得心応手~

(2022年 初掲載)

秋田県立視覚支援学校オリジナルキャラクターのチューモくんです。
「チューモくん日記」では、本校やその周辺のことについて語っていきます。

秋田県立視覚支援学校は、令和4年度で創立110周年。
今回は、理療科の実技の授業で使われているあん摩室に掲げられた書について紹介します。
本校のあん摩室には、写真のような書が掲げられています。 
書かれている言葉は、「得心応手」。訓読すると「心を得て 手に応ず」。意味は、「真心をもって 何にもあたれ」です。
この書を書いたのは、續木湖山(1911年-2006年)。
本名は、續木敏郎。愛知県出身の書家で、東京学芸大学教授や帝京大学教授などを歴任された方だそうです。書の世界では、全日本書写書道教育研究会理事長・副会長、日本書写技能検定協会理事、全国大学書写書道教育学会初代会長などを務められた大家です。

額の下に掲示している解説には、「本校第6代校長 佐藤信氏の依頼により、湖山先生が盲学校にご来校、一筆寄贈」とあります。
そこで、過去の周年記念誌をめくってみました。
歴代の周年記念誌で最も詳細にまとまっているのが「七十年史」です。しかし、それによると、第6代校長は佐藤兼治氏で、佐藤信氏は第15代校長となっています。
佐藤兼治氏の在任期間は、1926年(大正15年)6月から1928年(昭和3年)2月まで、湖山先生の活躍期間とは異なりますから、招いたのは1967年(昭和42年)4月から1969年(昭和44年)3月まで在籍の佐藤信氏に違いありません。
「七十年史」の年表を見ると、1969年3月に「佐藤信校長退職(自宅で書道に専念されるとのこと)」とありますから、佐藤信氏も書家であったことが分かります。

では、何故、「第6代校長」と書かれているのでしょうか。
調べてみると、「60周年記念誌」のみ、歴代校長の表記の仕方が違っていることが分かりました。
本校は、1912年(明治45年)に秋田県立盲唖学校として創立し、1948年(昭和23年)に盲聾が分離し、秋田県立盲学校となっています。
「60周年記念誌」では、歴代校長は、1912年の初代・樋泉慶次郎氏から始まって、9代・中山源吉氏で一度区切り、秋田県立盲学校初代・小泉岩夫氏から数え直しています。そのため、佐藤信氏は6代になっています。
しかし、これ以降の「七十年史」からは、再び、1912年からの連なりで表記するようになってました。

今回、「60周年記念誌」には、この書に関する記述を見付けられず、他に、佐藤信氏が續木湖山氏を招いた経緯が記された資料も発見することはできませんでした。しかし、佐藤信氏が第6代とカウントされていた、60周年から70周年までの間のどこかにそれを記した文書が存在したようです。

「真心をもって 何にもあたれ」
これからも大事にしていきたい言葉です。

<参考資料>

  • 「60周年記念誌」秋田県立盲学校(1972年)
  • 「七十年史」秋田県立盲学校(1982年)

(2025年7月7日 再掲載)

本文はここまでです。エンターキーを押すと、本文の先頭へ移動します。
ページの先頭に戻る