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110周年・もの (将軍野開発の歴史 後編)

(2022年 初掲載)

秋田県立視覚支援学校オリジナルキャラクターのチューモくんです。
「チューモくん日記」では、本校やその周辺のことについて語っていきます。

秋田県立視覚支援学校は、令和4年度で創立110周年。
前回、書庫の奥で見つけた、秋田市土崎港を中心とした古い地図などが綴られた資料について紹介しましたが、それが、どういう意味をもつものなのかまでは、紹介しきれませんでした。
今回は、その内容についてもう少し迫っていきます。

鍵は、人物名や会社名が並んでいる年表(資料①)にありそうです。
そこで、年表内に書かれていた人物や会社・団体等について、ネットや図書館で調べてみました。
すると、いくつかは調べきれない人や会社・団体もありましたが、秋田県立盲学校土崎校舎があった地域周辺の発展に関わる人物や会社・団体等のことをまとめた資料であることが分かりました。
例えば、江戸時代に、干鰰(ほしか=ハタハタの干物)を専売制にしたらどうかと藩に進言した土崎港の商人。飯島地区での養蚕の基礎を築いた肝煎。秋田駅から土崎までの馬車鉄道を電車に切り替えた秋田電気軌道株式会社の社長などです。

この4枚綴りの資料については、正確な記録が残っていないため、いつどのように使われたものかはっきりしませんが、青焼きコピーという媒体であることやその内容から、秋田県立盲学校が、1971年(昭和46年)に秋田市長野下新町(現在の南通みその町)から秋田市土崎港南三丁目に校舎を移転した際に、学校として新しい地域に馴染んでいくために、地域のことを学ぶ機会を設け、そのときに使われたのではないかと推測しました。
土崎校舎が建っていた土崎港南三丁目と道路を隔てた向かいは、秋田市将軍野南二丁目で旧寺内町の範囲です。この地域は征夷大将軍坂上田村麻呂に縁があると伝えられることから将軍野の地名があり、陣幕を洗った幕洗川、刀を洗った大刀洗川という2本の川が資料②の地図に描かれています(現在、幕洗川は町内名として残っています)。また、土崎校舎からほど近い高清水の丘には、奈良時代から平安時代にかけて東北地方の日本海側に置かれた大規模な地方官庁である秋田城があり、現在は史跡公園として整備されています。
本資料には「将軍野開発の歴史」という題名が付いていますが、土崎校舎周辺の地域の話をするためには、秋田城を中心とする寺内・将軍野、そして、かつての三津七湊の一つであった港町土崎、さらにはその周辺の地域にまで言及する必要があったのだと思われます。
そこから見えてくるのは、校舎が建つ地域へのリスペクトです。

現在の校舎は、秋田市上北手地区に造られた「かがやきの丘」に移って10年以上が過ぎました。
まもなく創立150年になろうとする上北手小学校、伝統芸能である荒巻番楽、秋田県の「農業三大人」の一人と称された森川源三郎が切り開いた二見山などなど… この地に根付くためには、もっと、この地域のことを学び溶け込んでいく必要があるのかもしれない。偶然、棚の奥で見つけた古い資料から、そんなことを考えました。

(2025年7月4日 再掲載)
 

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