110周年・できごと ~校外臨床実習~
(2022年初掲載)
秋田県立視覚支援学校オリジナルキャラクターのチューモくんです。
「チューモくん日記」では、本校やその周辺のことについて語っていきます。
秋田県立視覚支援学校は、令和4年度で創立110周年。
今回は、本校の校外臨床実習についての話題です。
本校では、毎年、8月下旬には、高等部保健理療科、高等部専攻科保健理療科、高等部専攻科理療科の生徒たちが、北秋田市合川地区で校外臨床実習を行ってきました。
2年間、コロナ禍により中止となっていましたが、今年度、3年ぶりに実施することになりました。この臨床実習には、実は90年にわたる歴史があるのです。
本校の『七十年史』(1982年)の中に、
昭和六年
この年 山田寅之助の手記によれば、すでにこの年無医村回りの治療奉仕が行われていたという。(それが、今は校外臨床実習と言われ蜿蜒と半世紀にわたって続けられている)
という記述があります。『太平洋戦争下の全国の障害児学校 被害と翼賛』(清水寛、新日本出版社、2018年)には、次のように書かれていました。
太平洋戦争期に設置されていた府県立の盲学校の記念誌(年史)を通覧すると、中等部鍼按科の生徒たちが鍼按灸などの専門家の資格を有する教員に引率されて県内衛戍病院に奉仕治療を始めるのは三一(昭和六年)の「満州事変」のあとからのようであり、次いでその取り組みがより多くの府県に広がるのが三七(昭和一二年)の「日支事変」(日中全面戦争開始)以降である。
昭和6年といえば、東北・北海道は冷害で凶作となり、農家の娘の身売りが急増した年でもあります。こうした世相を反映し、直接、戦争に協力はできないけれど、地域のために役に立とうという意図が働いたということのようです。
ところが、この活動は、その後ずっと続いたわけではなさそうです。
昭和17年10月17日発行の秋田県立盲唖学校『校報 創立三十周年記念号』には、「無医村廻り」という記事があり、3回に分けて県内5箇所でマッサージ奉仕を行い、延べで2,239人に施術したことが報告されています。その文章の中に、
何故こんなに、一石二鳥、否、三鳥も四鳥ものこの無医村巡が今迄行われなかったかと、残念でもあり、疑問でもある。(現代仮名遣いに改めました)
とありますので、かつての無医村での奉仕活動が忘れられる程度の間、休止していたと考えられます。
その翌年、昭和18年には、日本赤十字社秋田県支部と一緒に行うようになったようです。
昭和十八年
この頃 日赤秋田県支部の要請もあり、日赤の旗を掲げた車で県内の無医村の巡回治療奉仕を十日ほどずつ行う。(『七十年史』より)
日赤秋田県支部と協力した、無医村での巡回治療奉仕は戦後も続けられ、それが、現在まで続く校外臨床実習につながっています。
中断を挟んでいるとはいえ、昭和6年から91年。
長い歴史のある、本校の地域貢献活動です。
<参考資料>
- 『七十年史』秋田県立盲学校(1982年)
- 『太平洋戦争下の全国の障害児学校 被害と翼賛』清水寛、新日本出版社(2018年)
(2025年5月18日 再掲載)