110周年・できごと (同窓会の設立)
(2022年初掲載)
秋田県立視覚支援学校オリジナルキャラクターのチューモくんです。
「チューモくん日記」では、本校やその周辺のことについて語っていきます。
秋田県立視覚支援学校は、令和4年度で創立110周年。
本校の同窓会総会は、コロナ禍のため、残念ながら今年も紙面開催となりました。今回は同窓会の話題です。
本校の同窓会については、大きく三つの形があったようです。
一つは、本校のホームページの沿革史に、「大正10年 同窓会設立」とある、「秋田県立盲唖学校」の同窓会で、盲部(視覚障害)と聾部(聴覚障害)の両方の生徒を対象とした同窓会です。
この同窓会は、会長が学校長で、第二次世界大戦の終戦まで続きました。
二つ目は、「秋田県立盲唖学校」の盲部(視覚障害)卒業生たちが独自に立ち上げた同窓会です。
1922年(大正11年)9月7日付けの「点字大阪毎日 第18号」には、
あきたけんりつ もーあがっこーにてわ そつぎょーせいゆーしの ほっきに より もーぶ どーそーかいを そしきし きょげつ 21にち はっかいしきを あげ こんご けんない もーかいの ため つくす よし。
(秋田県立盲唖学校にては、卒業生有志の発起により盲部同窓会を組織し、去月21日発会式を上げ、今後、県内盲界のため尽くすよし。)
とありました。
学校長が会長の正式な同窓会とは別に、盲部の卒業生たちが、「県内盲界のため尽くす」ことを目指して、視覚障害者だけの同窓会を作ったということのようです。この会が、どのように活動、発展したのかについては、校史には残っていませんので不明です。
三つ目は、戦後の、卒業生による同窓会です。
学校長が同窓会長を兼務することをやめたのは、終戦と同時期であったのか、盲学校と聾学校に分かれた1948年(昭和23年)であったのか、校内にある記録からははっきりしませんでしたが、その時に活躍した人については、『七十年史』に書かれていました。
それは、一期生の畑澤徳太郎氏と縄田屋定治氏です。
畑澤氏は、本校を卒業後、五城目町で開業し、長い間、本校盲生の校外臨床実習の面倒をみてくれたようです。
縄田屋氏は、南秋田郡の業界をしっかりとまとめたと伝わっています。
『七十年史』によると、この2人が、
コンビで戦後学校長が同窓会長の兼務をやめてから卒業生による初代同窓会のまとめ役をやっている。
とのことでした。
もしかすると、1922年(大正11年)の盲部同窓会も、この一期生たちを中心として結成されたのかも知れません。
校内にある資料から探し出せたことは以上でした。
本校同窓会の始まりについて、詳しい情報をおもちの方がいらっしゃいましたら、お知らせください。
<参考資料>
- 「点字大阪毎日 第18号」(1922年)
- 「七十年史」秋田県立盲学校(1982年)
(2025年5月14日 再掲載)