110周年・もの (将軍野開発の歴史 前編)
(2022年 初掲載)
秋田県立視覚支援学校オリジナルキャラクターのチューモくんです。
「チューモくん日記」では、本校やその周辺のことについて語っていきます。
秋田県立視覚支援学校は、令和4年度で創立110周年。
今回は、書庫の奥で見付けた古い資料について紹介します。
令和4年2月、本校書庫の棚の奥から、「将軍野開発史」と書かれた紙袋が出てきました。中には、「将軍野開発の歴史」と記された青焼きコピーの資料が30部ほど入っていました。何かの会の資料として使われたものの残りのようです。長く勤務する理療科教員も、どういった資料なのか誰も知りませんでした。
資料は4枚綴り。袋の中にあって日光を浴びていなかったとはいえ、かなり古い青焼きコピーで、文字が読みにくくなっているところもありましたが、可能な限り読み解いてみることにしました。
資料1
「将軍野開発の歴史」という題名が付けられたB4判の年表です。上段には、人物名を中心に団体名など、下段には学校や工場などの名称が書かれています。
資料2
B5判の用紙に2枚に地図が複写されていました。
上部の地図の題名は「土崎湊古繪圖」。脇に手書きで「120年前」と書かれています。現在の住居表示で言うと、本校の旧校舎があった土崎港南のあたりが描かれています。
下部の地図の題名は「現在の土崎湊町と穀丁」で、脇に手書きで「昭和16年」と書かれています。現在の秋田港を中心に、1941年(昭和16年)当時の土崎港町と周辺の町村だった寺内町、外旭川村、下新城村、飯島村が描かれています。
資料3
B4判の地図で題名は「土崎港町地圖」。これも、手書きで「昭和16年」と書き加えられています。資料②の「現在の土崎湊町と穀丁」よりは範囲が土崎港町に絞られており、旧町名による町割りも分かります。
資料4
B4判の用紙。「寺内の史跡」という題名が付けられた秋田城跡を中心とした寺内地区の絵地図の上部に地区にある史跡の紹介が書かれています。本校土崎校舎は、この地図の左端近くにありました。
一体、どういう意味合いの資料なのでしょうか? 後編に続きます。
(2025年7月3日 再掲載)